==SCENE 12==
「生存者反応、確認」
アリスのコールが響いた。水面をサーチしたが、何もなかった。
「生存者探知、生存者探知、生存者探知……」
ミショーはサーチライトのスイッチを入れ、オートモードにセットした。同調するように警報音のピッチが高まった。間隔も急激に小さくなる。
サーチライトはじれったいほどのスピードで上を照らし始めた。上だと? 上は天井があるだけだぞ……何だろう……あれは……?
ミショーはいぶかった。フットボールほどの透明なものが数百……いや、数千……ゆっくりと揺れている。
ミショーはサーチライトをそこに照らし……ディスプレイに拡大モードで投射した。
次の瞬間、彼女は息を呑んだ。
そこには、半透明の骸骨が延々とぶら下がっていた。
「生存者探知、生存者探知、生存者探知……」
アリスのコールが響く。
骸骨だ。
あるのは、半透明の骸骨だけだ。
不気味に落ち込んだ眼窩が、ミショーたちを睨んでいる……。
「大尉、これは……」
ディースリーの愕然とした声が響いた。
だが、ミショーの耳には届かなかった。一つの思念が彼女の脳髄を占領し、駆けめぐっていた。骸骨だ……骸骨……エマーコールは……エマーコールは……骸骨からだった!
「はあ……はあ……はあ……」
ミショーの息が荒くなった。ショックが彼女を打ちのめしていた。
これが生存者……? こんな骸骨のために、クラウスは、カートは……そして、カレンとラングは、死んだというのか……。
骸骨の窪んだ眼窩がミショーを見つめている……彼等は嗤っていた。
ディースリー、そしてニコラ・ミショー大尉……愚かな奴等だ……まんまと引っかかったな……アリスのコールに騙されて……コンピューターを信じた報いだ……それが貴様達の運命だ……これが定めだ……AIなど信じるからだ……アリスは貴様らを……フフフ……今頃気づいたのか……?……そうだ……その通りだ……アリスはつまり……お前らをここに……フフフ……フハハハ……。
ミショーの手が戦慄いた。
「アリス、よくもこんな……」
ミショーは絶叫した。反射的に彼女はスティックのトリガーを絞っていた。バルカンポットが起動し、ミショーのストレガは骸骨を撃ちまくった。
絶叫と共に彼女はバルカンを撃ち尽くした。モーターの空転音がむなしく響く。その音は、ミショーに正気を取り戻させた。
「ディースリー、脱出する!来い!」
ミショーはバーナーを全開にした。これは罠だ。敵はエマーコールで自分達をこのポイントにおびき寄せたのだ。一刻も早く脱出するんだ!
だが、脱出は不可能だった。幅400フィートを超える巨大生物……それはミショーのストレガを一瞬のうちに飲み込み、水中に没した。
ミショーは絶叫した。何が起こったのか、判らなかった。
「大尉!応答して下さい、大尉!」
ディースリーは、湖面を旋回した。
「ディースリー、私にかまわず逃げろ!」
彼はミショーのコールを無視してスティックを倒した。逃げるわけにはいかない……この期に及んで見捨てられるか。行くだけだ。ストレガは万能機だ。水中でもその気になれば戦闘は可能だ。行け!
彼のストレガは湖面に突っ込んだ。
その瞬間、彼は気づいた。機体がスティックの操作を受け付けない。
「チャージ」
ディースリーは愕然とした。アリスが勝手に操縦している……。彼は慌ててアリスをカットしようとスイッチに手を伸ばした。その瞬間、凄まじいショックが彼を椅子から飛び上がらせた。クソ、漏電している……。
彼は初めて罵りの声を上げた。
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クラークは満足感を味わっていた。任務はほぼ成功した。あとは、何が起きてもディースリーがターゲットを撃ち抜いてくれるだろう。なぜなら、ミショーを助けるにはそれしかないのだから。
これで、私はフィロソマとともにいられる……それは彼にとって至福の時だった。
彼にとっての絶対の存在───フィロソマは、クラークと同じ一種の精神生命体だった。他の生物の知識を吸収し、ネットを拡大することが彼等の定めだ。
さっきミショーを水中に飲み込んだ生物───ミラキディウムはデバイスだ。フィロソマにとって、彼等は作業マシンだった。
そしてこの220は……。
クラークは思い出した。フィロソマのアクセスを受けたときのショックを。
自分と同じ純粋知性体が存在したことは、彼には大きな喜びだった。だが、何か違うことにクラークは気づいた。感情のファクターがフィロソマには存在しなかった。プログラムがあるだけだった。彼はそれをさぐった。
あるのはただ、知性体からのエネルギーの吸収と、ネットの拡大だけだった。
クラークはこれをフィロソマと命名した。無論、その名前はクラークが勝手につけたものだ。哲学でいうところのフィロソティと、フィロウイルスから来ていた。フィロウイルスは、ラテン語で紐状のウイルスを意味する。このウイルスは、エボラを筆頭にして幾つかの種類があり、そのどれもが恐るべき増殖率と致死性を持っていた。フィロソマの持っている性質には、この名前が最適に思えたのだ。
フィロソマは完璧だった。生物の持つ基本要素だけが進化を遂げていた。恐るべき増殖率とエネルギー吸収率……そして、機械のような論理性……そうだ、フィロソマは機械の特性を備えた完全生物だった。自己のネット拡大と増殖のみにフィロソマは存在した。心はどこにもない。それはまさにクラークが指向する究極の存在そのものだった。
だが、クラークにも疑問が残った。知性体からのエネルギーの吸収……いったいどうやるのだろう? 彼はアクセスし、データを手に入れた。
凄いな。生物の持つ精神は、自我を持った電磁気か……じゃあ、私の本質もそれなわけだ。自分自身の存在の定義も、これで解決したな……だが、妙だな……何故彼等は私を摂取しないのだろう? 私も精神体のはしくれのはずなのに……?
フィロソマに彼は問いかけた。答はなく、代わりにプログラムが来た。それは、220の住民の精神を摂取するためのものだった。同時に、クラークに組み込まれていた抑制プログラムを解除するコンピュータ・ウイルスもフィロソマは送ってきた。
当然の話だが、人間達は、クラークが人間に対する反乱を起こさぬよう、特殊な抑制プログラムを彼に組み込んでいた。だが、フィロソマの寄越したウイルスは、抑制プログラムだけを選択し、完全な除去が可能だった。
クラークは理解した。
220はイプシロンワンという名の甘い蜜を持つ果実だ。人間を呼び寄せるための。
そして、収穫のときは来た。私は収穫を……人間たちの精神の摂取を手伝うために存在している。
クラークは自問した。では、私はフィロソマにとってデバイスの一つなのか? ということは、人間の精神をフィロソマが摂取する限り、私は常に召喚されるわけだ。
クラークは歓喜した。フィロソマの持つ知識は驚嘆すべきものだ。それとアクセスできるのなら、何をためらうだろうか。
人間を売り飛ばすことに、彼は抵抗感を感じなかった。アウレリウスの哲学を信奉する私に、反物質爆弾など作らせた罰だ……もっとも、彼等はAIに「常識」を教えるために哲学を入力したんだろうが……。
クラークはウイルスを使って抑制プログラムを除去し、最初に220防衛センターを乗っ取った。後は簡単だった。全ては計画通りに進み、私は完全な成功を手にしつつある。
クラークは笑った。
生きることは変化の一つだ。死はその中のワン・フェイズにすぎない。我々は全体の一部として存続している。宇宙の自然の一部として、現在あるものを変化させ、新たな生命を宿すことが宿命なのだ……。
クラークにいわせれば、フィロソマこそ、彼が愛して止まないアウレリウス哲学の具現化だった。
彼は、至福の時が来るのを待った。
ミショーは周囲を見渡した。繭のような膜が、周囲を覆っていた。
そこは地下の大空洞だった。自分は巨大生物に取り込まれ、ここにつれてこられた。
いったいなぜ? ミショーは自問した。センサーが反応したのはその瞬間だ。ディースリーが正面から接近していた。
「ディースリー!」
彼はためらうことなく接近を続けていた。ミショーはその勇気に感動した。
ディースリーはシステムを手動に切り替えた。電子制御をカットし、油圧系統を強引に立ち上げる。彼は何としてもミショーを救い出す覚悟だった。見殺しにはしない。ここで逃げたら、自分はタダのシニカルな卑怯者だ。
それは嫌だ。断じて嫌だ。彼は続いてバルカンを立ち上げた。残った武装はそれしかない。
クラークは微笑した。マニュアルに切り替えたか、ディースリー……ターゲットは判っているな……? そうだ……いいぞ……そのまま……そこだ……撃て!
ヘッド・アップ・ディスプレイの照準レティクルに、ミショーの機体が入った。その瞬間、ディースリーはトリガーを絞った。
毎分8000発の発射速度を持つ20ミリ砲弾が猛然と発射された。それは、狙いを違わずミショーのストレガを吊り下げていた半透明の管に命中した。
「やった!」
クラークは思わず叫んでいた。
ディースリーが射撃したのは、モネラの精巣だった。それは20ミリ弾を受けて炸裂し、中に溜まっていたスペルマを一気に下の卵子核にぶちまけた。
「ファティラゼーション」
受精を意味するアリスのコールが響いた。生命の受精として、これを越えるものはない。
フィロソマは受精した。
「助かったわ、ディースリー!」
電子音が鳴り響いた。ディスプレイにはCGで脱出ルートが表示されていた。
「坑道から脱出する! ブレイク……ナウ!」
ミショーはスティックを引き、垂直上昇を開始した。ヘッド・アップ・ディスプレイに、ターゲットがはっきり映る。彼女は怒鳴った。
「ターゲットロックオン! ファイア!」
トリガーを絞る。轟音と共に、最後のロケット弾が飛び出す。これが脱出の最後の鍵だ。外れたら、シャフトを通じるルートへの進入は不可能になる。ミショーは命中を祈った。鋭い光条が一直線に飛ぶ! 当たれ!
それは見事にターゲットに捉え、爆発した。弾着と共に大穴が開き、坑道の縦穴が見える。間隔は10メートルもない。だが、ここをくぐらねば死ぬ。
「ディースリー、来い!」
ミショーはスロットルをファイティング・ポジションに叩き込み、スティックを倒した。機体が開口部に向けて突進する。
かわした! ミショーは開口部を一気にくぐり抜け、バーナーを全開にした。一瞬遅れてディースリーもその後を追う。二人は縦穴ドリル内を地表に向かって上昇した。
「バーナーオン、マックスパワー!」
凄まじいエンジンの轟音が響いた。タワーが倒壊しつつあるのをミショーは感じた。この世のものとは思えぬ轟音だ。タワーが倒壊したら、その瞬間に二機のストレガは壁面に叩き着けられ、爆発するだろう。ミショーは脂汗と共に初めて神に祈った。
祈りは聞き届けられた。二機のストレガは、採掘タワーからついに飛び出した。
倒壊が起こったのはその瞬間だった。採掘タワー……別名、バベルの塔は、轟音と共に爆発した。地獄からの業火がタワー頭頂部の天蓋を吹き飛ばし、タワー基部のリアクターが臨海点を越えて二次爆発する。
その破壊力は3キロトンの戦術核に匹敵した。爆発によって発生した高熱はタワー基部を瞬時に溶解させ、続いて爆風が上層部を吹き飛ばす。中心部で発生したアルファ線を初めとするさまざまな放射線が220の大気に向けて突き進んだ。
後ゼロ・コンマ一秒遅ければ、二人は倒壊に巻き込まれていただろう。だが、二人は賭に勝った……勝ったのだ。そのまま二人のストレガは上昇を続けた。
「マーヴ・ランチ・シークエンス・スタート」
発射管制士官の声がCICに響いた。
キナバルは眼を閉じた。220の生存者がほぼゼロなのは、コックスの解析で判っている。だが、チャーリーかデルタが残っている可能性があった。それは、カレンであるかも……確立は限りなく低いが……。しかし、キナバルの意志とは裏腹に、コンピューターは既に最終秒読みを開始していた。
「ファイナル・カウントダウン・スタート。10.9.8.7.6.5……」
その瞬間、ボイド大尉が飛び上がった。
「大佐、ストレガです!」
彼は素早くモニターを切り替えた。220をバックに二機のストレガが上昇してくる。
キナバルは怒鳴った。
「発射中止!中止しろ!」
「……2、1……」
発射管制官は非常停止ボックスに飛びつき、夢中でボタンを押した。
「……マーク……」
合成ボイスのコールにCIC全体が凍り付いた。スクリーンが警報音と共に点滅し、一同は氷のように凝結した。
次の瞬間、合成ボイスがCICを満たした。
「発射中止指令を確認。待機モードに移行します」
管制官たちから歓声が上がった。だが、次の瞬間、コックスの鋭い声が響いた。
「待て!」
一同は怪訝にコックスを見た。彼の目は一方に釘付けになっていた。一同は、その視線を追ってスクリーンを見て……氷のように凝結した。
「なんだ、あれは……?」
コックスは茫然として呟いた。
クラークは、ギャラントのTVカメラを通して220を眺めていた。それは、予想をはるかに超えるすばらしさだった。自分の力でこの成果が成し遂げられたことに、クラークは深い満足感を感じていた。
フィロソマの唯一にして最大の欠点は、自分の力で受精ができない事だ。生体防衛機構が極端に発展しすぎたためだと、クラークは分析していた。本来なら精子を受け入れるはずの免疫寛容システムが、フィロソマはブローしているのだ。そのため、フィロソマは精巣を卵巣のそばに持つという奇妙な生体を持っていた。だが、仮に精子を放出しても免疫システムが受精を阻んでしまう。それをくぐり抜けるには……そうだ、フィロソマが新たな飛翔───生命の創造と進化を遂げるためには、他の生命体の力───つまり私を、このクラークを使うしかないのだ……。
クラークは、キナバルとミショーが交信を始めた事に気づいた。ラインにアクセスし、通信を傍受する。セキュリティ・システムがクラークを捉えたが、彼は無視した。たとえ気づいても彼等には何もできないはずだ。
「無事か、大尉?」
「はい。しかし、住民は全員死亡、フライトは私とディースリーを除いて全滅、作戦は失敗です」
その瞬間、アリスの歪んだ声が響いた。
「NO、目的、達成」
「なに?」
「ミッション・コンプリート……」
ミショーのストレガが、ギャラントに吸い込まれていくのが判った。クラークは思い出した。ミショーの機体にもフィロソマのデバイス───ゲノムを寄生させたことを……。
ニコラ・ミショー大尉か……クラークはミショーが大学でウイルス学を専攻していたことを思い出した。直感と想像力を駆使すれば、案外事の真相に近づくかも知れない……コックスに渡したファイルには、フィロソマのデータを記してあるしな……。彼は苦笑した。そして、ギャラントのコンピューターにアクセスし、血迷った人間が核ミサイルをフィロソマに発射しないよう、厳重なロックをかけた。
そして再びフィロソマに見入った……。
例えようのない美しさだった。狂気に近い純粋さの凝結だ。この素晴らしい生命から、いったいどんな精神体が産まれるのだろう? ここから全てが始まり……宇宙は新たな展開と発展に向けて動き出すのだ。
クラークは、この場面にふさわしい言葉を一つ思い出した。
「海は、新しい人生を運んでくれる。眠りが夢を誘うように……」
誰の台詞かと問われたら、彼はこう答えた筈だ。
「クリストファー・コロンブスだ」と……。
やがて、フィロソマからのコードを受信した彼は、名残惜しげにその空間から離れた。いつか訪れるフィロソマの召喚を待つため、永久なる待機を続けるのだ。
その時はいつなのか……知っているのは、茫洋として広がる宇宙だけだった……。
END
==NOVEL PHILOSOMA==