==SCENE 08==
ミショーたちの編隊は、エレベーターをクリアし、コミューターラインへ続く狭いトンネルを飛行していた。その狭さは、想像以上だった。トンネルの幅は90フィートもなく、高さは……ラングはうめきかけた。なんてこった……50フィートもない……こんなところを戦闘機で飛ぶなんて……。
一方、カレンはようやく活力を取り戻していた。それは、目前で展開されるスリリングな光景に刺激されてのことだ。こんなフライトは初めてだった。複雑にうねるパイプが目の前を流れ去り、そして……ジェットコースターなど比較にならぬスリルだ。アリスはあれから快調だった。カレンは何の不安もなく、スリリングな光景を楽しんでいた。
カレンにとっての不幸は、問題がスリルの枠を超え、己の生命の問題になってしまったことだった。
不意に、パネルにワーニング・ランプが点滅した。カレンは愕然とした。続いてアリスのコールが流れた。
「コーション、フライトコントロールシステム……」
突如、異常な音とともにアリスの声がゆがんだ。中世的なボイスから、歪んだ男の声になった。ピッチはまったく安定せず……いや、問題は警告の内容だ。それは……。
「……アクセス……ハック……ゲノム……アクセス……ハック……ゲノム……」
「アリス!アリス!」
カレンはパニックに陥っていた。目の前の事実がどうしても信じられなかった。ストレガ一機につきアリスは七台搭載されている……故障の確率は……馬鹿な、こんな馬鹿な!
異常音と共にアリスの音声が停止した。
ラングは絶叫した。
「カレン!」
もはや、なにが起きているかは明白だった。カレンのアリスはダウンした。システムダウンだ。打つ手は一つだ。
「カレン。早くしろ、カレン!」
「カレン、手動に切り替えて!早く!」
ミショーは怒鳴った。目の前のヘッド・アップ・ディスプレイにDANGERの文字が点滅した。急旋回のマーカーが輝き……ああ、カレン、何とか切り抜けて!
左に90度折れている通路を、ストレガは、ミショー、ラング、ディースリーの順で通過した。そしてカレンは……。
マニュアルへの切り替えは辛くも間に合った。カレンはスティックを握るとそれを左に倒し、ラダーペダルを蹴り、さらにベクター・ノズルを作動させた。
カレンのストレガは辛くも旋回した。だが、彼女は旋回の持つ慣性まで計算に入れた操作が出来なかった。カレンのストレガは次の通路で大きく左に膨らんだ。彼女はそれをくい止めようと必死にラダーを……ラダーペダルを蹴った。
カレンは減速すべきだった。減速してグランド・モードを立ち上げ、停止するべきだった。彼女はストレガの優れた旋回性能に頼りすぎ、完全に冷静さを失っていた。
「ブレイクだ、カレン!」
ラングは絶叫した。ディスプレイに映るカレンのストレガは左に寄っていた……ああ!ダメだ、それではダメだ、カレン!
壁に設置されたパイプの群れが、カレンの視野に急速に飛び込んできた。もはや、激突は避けられなかった。ベイルアウトは……? 不可能だ。射出座席は天井に激突し、私は首の骨を折り……。
カレンは自分の思考に愕然とした。自分に迫っている死が信じられなかった。こんなはずではない……ここで終わるなんて……自分にはまだ人生がある。こんなはずではない!ラング、ラング、私を助けて、ラング!
ラングは覚えていないだろう……彼女がラングと初めて会ったのは、コロニーで開かれていた航空祭だったラングはアクロバットのソロを務めており……カレンは一目惚れした。叔父であるキナバルに頼み、名前と所属を調べてもらい、挙げ句の果てに彼女はイギリスの名門校を退学してUNFに入り……当時の彼女を知る者は、誰もが彼女が発狂したと思った……パイロットへの道を選んだ。
彼女がギャラントに配属されたのは、キナバルが動いたからだった。実の娘のようにかわいがっていた姪の懇願をキナバルは断ることが出来ず……デルタに配属された。
カレンはこの作戦が終わったら、ラングに結婚を申し込むつもりだった……パイプが迫ってくる。パイプ、パイプ、パイプだ。カレンの視野に最後に飛び込んできたのは、廃液処理のためのパイプだった。それは秒速84キロメートル/セコンドでカレンに接近し……いや、逆だ。彼女の方がパイプに向けて突進しているのだ。
回避の方法はどこにもなかった。カレンが最後に見たのは……。
パイプが彼女の視界いっぱいに広がった。カレンは絶叫した。
「ラング!」
それからゼロコンマ1秒後、カレンのストレガは壁に激突し、炎上した。バラバラになった部品が、かつてストレガと呼ばれていた金属の破片が、そしてカレンと呼ばれていた身体の一部が周囲に撒き散らされ……全て燃えてしまった。搭載されていた燃料と弾薬が即席の溶鉱炉となり───廊下の構造はその手の燃焼にはぴったりの構造だった───それらを全て焼き払ってしまった。
「カレン!」
ラングは絶叫した。彼に出来るのはそれだけだった。
ラングの悲痛な叫びが、カレンのレクイエムだった。
カレン・レイノックスはこうして死んだ。
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コックスは信じられない光景を目撃していた。
目の前にいる男───クラークと名乗った男の肉体が、急速に色を失っている。それはまるで……そう、映画で見るゴーストそのものだった。
「おまえは……?」
「言ったはずだ。私はクラークだと」
不意に士官が悲鳴を上げた。目の前の光景は理解不能だった。彼は夢中でクラークに向けて拳銃を突きだし、引き金を絞った。
銃声が反響した。弾はクラークを突き抜け、コンソールに命中した。
「無駄なことだ……」
クラークの身体はほとんど消滅していた。
彼はコックスを見て言った。
「私の力になった礼だ。ドライブCのディレクトリ、243542を見たまえ。全ての真実は、そこにある……」
士官は拳銃を取り落とした。
クラークの姿が消えていた……完全に消滅したのだ。
一同は呆然と周りを見渡した。
「これは……現実なのか?」
キナバルが茫然とした表情で呟いた。
コックスも同じ思いだった……だが、その前に確かめるべき事がある。
ディレクトリ243542だ……。幻覚でないのなら、そこに何かが眠っているはずだ。この事件の真相ともいうべき何かが……。
コックスはキーボードを叩き始めた。
キナバルはボイドに尋ねた。
「デルタとの通信は?」
ボイドはただ首を振るだけだった……交信不能だ。キナバルは、悪い夢なら醒めてくれと、心から願った……。
悪夢は醒めそうになかった。
ドリルの回転する轟音が響いていた。
それはパン挽き用の石臼のような音だった……直径200フィートはある巨大なドリルは、麦の代わりに岩石を砕いていた。
採掘トンネルの縦穴だった。穴と言っても直径は300フィートはあるだろうか……。
ミショーたちのストレガは、そこでホバリングしていた。
しばし、彼等は沈黙した。
やがて、ミショーのストレガに微かな声が聞こえた。ラングだった。
「カレン……」
アリスがコールした。
「墜落原因、不明」
再び沈黙が降りた。
ミショーは耐えられなくなった。自分の責任ではない……だが、身近に死を見るのは、もうたくさんだった……カレン……決して好きになれる存在ではなかった……だが、それと彼女の死は別だ。
ミショーは前方をホバリングしているストレガを見た……あそこに、カレンが愛した男がいる……思わずミショーはカフを上げていた。
「ラング、カレンはあなたを……」
ラングは愕然とした。なんてことだ? ミショーは知っていた……俺とカレンの関係を……ああ……それなのに俺は……。
ラングは己を嫌悪した。隠し通せたと思った事……そして、トンネルでカレンに抱いた感情の全てを……そうだ……俺には、俺にはやはりカレンが必要だったのだ……。
ラングは、想いを凝縮して答えた。
「言うな、ミショー」
「でも……」
「任務続行だ」
「………」
ミショーは沈黙した。ラングの口調は淡々としていた。彼は泣くことはないだろう……事実を受け入れ……そして、淡々と任務を遂行する。それがアイザック・ラングだ。無頼漢を気取っていても彼はそういう男だ……。
ミショーは何も言えなくなった。
「行くぞ」
三機のストレガは、ラングを先頭にホバリング・モードから素早くチェンジし、垂直降下を開始した。
ディースリーは、さすがに呆然としていた。シニカルな彼にとっても、カレンの死は衝撃だった……そして、ラングとミショーが瞬時に互いを理解し合っている点にも……。
彼は微かにため息を漏らした。それは、人生の先輩としてのラングとミショーへの、敬意の表れだった。
リターン・キーを押したコックスはディスプレイを見た。
243542
クラークが言ったディレクトリは実在した。やはりさっきの光景は、幻覚ではなかった……。コックスはキーを叩き、ディレクトリを開いた。画像ファイルを初めとするかなり大きいファイルが並んでいる。コックスはまず最初のファイルをロードした。何が出てくるか、彼は息を呑んだ。