==OPENING==
レッドアラートを意味する警報音が、ストレガのコクピットに反響していた。
ニコラ・ミショー大尉は、酸素マスクのホースをヘルメットに接続し、深呼吸を繰り返していた。濃度100パーセントの酸素が彼女の肺を見たし、先ほどまで感じていた鈍い頭痛を拭い去ってくれる筈だった。だが、息を吐き出すと再び頭痛が始まった。よほど飲まなければこうはならない……ミショーは、ラング達と飲み過ぎたことを後悔した。
軍規では、艦内でのアルコールは厳禁だ。所持できるのは軍医だけと決まっている。だが、この「ギャラント」は例外だった。
ミショーが所属するUNF第7独立任務舞台は、攻撃型宇宙空母SCV-13「ギャラント」ただ一隻で編成されていた。いわゆる独航艦だ。退役間際の老朽艦とはいえ、空母をエスコートする巡洋艦等が全く存在しない事は、ギャラントの異様さをよく物語っていた。
ミショーは、ギャラントの中核である戦闘攻撃飛行機VFA-29のフライトリーダーのひとりだった。この飛行機は、ブラッドフォード・アズミ・アエロスペース社(BAA)が製作した宇宙戦闘攻撃機F/A-37ストレガを、定数いっぱい保有している。この事実は、ギャラントのパイロット達の自尊心を大いに満足させていた。ストレガは連合軍で実戦配備が始まったばかりの最新鋭戦闘攻撃機だからだ。そして、その実現の功労者は……。
「ミショー大尉、こちらはキナバルだ」
ミショーは苦笑した。御当人の名を思い浮かべた瞬間に向こうから呼びかけてきたのだ。彼の名はスタンレー・キナバル大佐。このギャラントの艦長だ。階級は大佐。
「こちらミショー、大佐、状況は?」
「220へ降下させた偵察機は撃墜された」
「撃墜……それで敵機は?」
「データを送る間もなく瞬時に堕ちた。エマーコールの受信から七時間……偵察を再度行う余裕はない」
キナバルの口調には苦渋が滲んでいた。つまり、敵情不明のまま突入しろということだ……危険だ……危険すぎる……だが、次の瞬間ミショーは答えていた。
「ラジャー、発進許可願います」
多国籍企業シンフォ・カイファーが保有する資源採掘惑星ORA-194-220が惑星遭難信号を発したのは、三時間前のことだった。220からのエマーコールを受信したギャラントは、直ちに全速でポイントに急行した。
惑星遭難信号はよほどの突発事態が起きなければコールされない。過去にコールされたのはわずか8件。いずれも大規模な自然災害、あるいは核使用を含んだ内戦だった。
「コックスよりチャーリーフライト、ランチ・シークエンス」
「ラジャー。こちらチャーリー・リーダー・ミショー。ランチ・シークエンス」
副長のコックスのコールが始まった。それは発鑑シークエンスの開始を意味していた。
「続いてデルタフライト、ランチ・シークエンス」
「ラジャー。こちらデルタ・リーダー。ランチ・シークエンス」
デルタリーダーのコールが響いた。彼の名はアイザック・ラング大尉。
パイロットとしては特Aランクの腕。安心して後方を任せられる。飲み友達としても悪くない男だ。
だが、彼は同時に命令違反の常習者だった。ミショーは彼に釘を差そうとカフをあげた。
「チャーリーリーダー・ミショーよりデルタ・リーダーへ」
「こちらデルタリーダー・ラング」
「オペレーション・オーダーに従い、チャーリーとデルタは私が指揮する」
「ラジャー。カレン、ディースリー、これよりデルタフライトはチャーリー・リーダー、ミショーの指揮下に入る」
「……?」
やけに素直だった……いつものラングなら軽口混じりの嫌みの一つも返してくるのだが……その疑問は次のコールで氷解した。
「ラングよりコードネーム・ディースリーへ。気分はどうだ?」
「大丈夫です、大尉」
「記念すべきファースト・ミッションだ。カレン中尉、デルタスリーをサポート」
「ラジャー。ディースリー、訓練通りにやるのよ」
「イエッサー」
ミショーは思い出した。今日のラングにはお荷物が二人いる……。一人はコードネーム・ディースリー。本名は知らない。アナポリス出のパリパリの新米少尉。腕の方はそれなりという話だ。しかし、実戦は今回が初めてだ。所詮は、足手まといにならなければ幸い、というレベルでしかあるまい。それにしても『サー』とはね……。ミショーは苦笑した。サーは、男性の上官に対する呼びかけだ。普通、女性に対しては上官でも名前か階級を使う。にもかかわらず、敢えてカレンをそう呼んだその意味は……? 容姿からいえば、カレンは断じてサーと呼ばれるようなものではない。同性のミショーから見ても、いや、誰が見ても彼女は美人だ。なにせ、スコットランドの名家の出というし……育ちの良さは誰もが一目見て感じることだ。ということは……別の意味で言ったわけだ。もしかしたらディースリーは、既にカレンの技量を見抜いていて……うん、たぶんそうだろう。皮肉を込めて彼女をそう呼んだのだ。
全くいい性格をしている……。ミショーはかすかにため息をついた。どうやらディースリーは、おとなしそうな声とは裏腹にかなりの皮肉屋らしい。
ミショーはモニターを切り替え、カレン機を捉えた。
カレン・レイノックス中尉は、デルタフライトの2番機だ。ロングヘアの金髪美人で、VF-29のアイドル……。偶像とは、よく言ったものだ。パイロットとしてのカレンの腕はBクラス……腕利きが大半のギャラントの中では不釣り合いな存在だ。カレンは単独でハイレベルな戦闘を切り抜けられる練度ではない。つまり、ラングは必然的にカレンの面倒を見ざるを得なくなり……必然的……必然的ね……まったくお笑いだ。
ラングが公私ともにカレンの面倒を見ていることを、密かにミショーは知っていた。本人達は上手く隠しているつもりらしいが……生憎とミショーは、二人が抱き合っているのを目撃していた。まあ、お付き合いが周囲にバレたら、カレンを落とそうと狙っている若手パイロット達が黙ってないだろう。せいぜい気を入れてやってくれ……。
ミショーは微笑とも苦笑ともつかない表情で、手元のパットを操作した。かすかな電子音と共に、コックピット全面の視界が格納庫から宇宙空間に切り替わる。ストレガのキャノピーは透明アルミニウムの二重構造になっており、その間には液晶が満たされていた。液晶はそのまま立体テレビとして機能し、外部の映像を望むままに映し出すことができた。
続いてカメラがコクピット・ビューに切り替わる。キャノピー全域に格納庫の情景が展開された。
「チャーリー・アンド・デルタ、ファイナル・ランチ・シークエンス」
最終発進過程───コックスのコールと共にストレガがゆっくりと前方に動き出した。トランスファーシャフトのレールに沿い、ストレガを吊り下げているブロックが移動を開始したのだ。線路の継ぎ目に車輪が当たったような鈍い金属音が断続的に響き、続いて格納庫のゲートが開いた。
「全機、アンティル・ファザー・アドバイス」
「ラジャー」
別名あるまでの待機命令―――更にコールが来る。
「コックスよりチャーリー・アンド・デルタフライト。アリスをチェックする」
電子音が連続して鳴り響き、冷たく整った合成ボイスがスピーカーから流れ始めた。
「チャーリーフライト・アリスワン、ツー、スリー、ノーマル」
「デルタフライト・アリスワン、ツー、スリー、ノーマル」
ミショーはかすかにうなずいた。ニックネーム「アリス」は、ストレガの制御を司る総合戦術支援AIコンピューターだった。正式名称は凍項電子新社製祥雲LLN68と言い、ボイス応答タイプのAIだ。
今を去ること約百年前、1970年代から、戦闘機のコントロールの複雑さ、操作性の悪さは大きな問題だった。
ミサイルと電子装備の登場は、戦闘機のコンバットエリアを飛躍的に拡大させたが、それに比例してパイロットの負担は増す一方だった。
操作の軽減が技術者達の課題になり、その回答として当時の技術者は、グラスコクピットやHOTAS―――スティックとスロットルレバーへの操作スイッチの集中などを産み出した。しかし、グラスコクピットは情報のスポイルを、HOTASはパイロットにピアニスト並みの指使いを要求し、問題を解決するまでには至らなかった。やがて時が経ち、コンピューターの発達はAIを産み出した。AIとボイス応答機能を組み合わせることにより、初めてパイロットは煩わしい操作から解放されたのだ。
それ故、ストレガのコクピットはきわめてシンプルだった。パイロットが操作するのはコントロール・スティックとスロットル、フットペダルだけと言っていい。もっとも、マニュアル操作を好むパイロットのために普通の操作パネルも設けられているが……基本的にはAIが、アリスが全てをサポートする。
さらにアリスの特長として挙げられるのが、アリス同士のリンクが可能なことだ。つまり、アリスを搭載する機体で編隊を組めば、情報の完全共有化と同時運用が実現するわけだ。
これは、一斉攻撃には特に有効だった。味方が一機でも敵を発見すれば、次の瞬間全機でターゲットを攻撃出来る。そのために必要なデータ、発射のタイミングなどは、アリスが処理する。パイロットはただ、機体を操ることだけに集中すればいい。
ストレガが単なる戦闘機から戦闘攻撃機へと設計を変更したのは、アリスの搭載にめどがついたからだ。
通常、このような変更はいい結果を呼ばない。マルチローリングファイターを狙った機体は古来からあるが、どれもが中途半端な性能のため没落していった。成功例はほんの一握りにすぎない。
幸いなことに、ストレガは数少ない例外の仲間入りを果たした。この戦闘攻撃機は、宇宙戦闘、対空戦闘から対地攻撃ミッションまでを自在にこなす万能機として誕生したのだ。
「ランチ・スタンバイ」
アリスの合成ボイスにデルタリーダーのラング大尉は、うんざりした顔で首を回した。先発したアルファ、ブラボーとの間隔を考えるだけで嫌気がさした。蜂の巣を突っついたところに飛び込んでいくことになりそうだ。
「スタート・ユア・エンジン」
エンジン系列パネルが微かに発行し、タービンブレードの回転音が後方から響いてきた。
双星電子社製の多目的CRT・美麗五式に、エンジンの状態が表示された。油圧、電圧、燃料流量、エンジン回転、タービン内圧……どのデータも正常値を示している。
「カタパルト・テンショニング。ファイナル・ランチ・シークエンス」
リニアカタパルトが射出姿勢に入り、220に向けて傾斜していく。眼下に広がる惑星の姿をラングは見つめた。そのまま吸い込まれていくような感覚を彼は覚えた。
ラングは最終チェックを行った。ラダーとエレボンの動作を素早くチェックし、スタビライザとトリムを、最後にベクター・ノズルの動作を確認する。全て正常だ。
ラングはスロットルを全開にした。
「バーナーオン。マックスパワー」
BAA重工社製飛龍FAS.909Dbis2可変サイクルエンジンが咆哮を発した。ノズルが白熱し、プラズマトーチを遙かにしのぐ高熱が放出される。その推力はアフターバーナー使用時で80トンを超えていた。ストレガはそのエンジンを4機搭載していた。ブーストなしで地球の引力圏を離脱できるのも、怪物的なエンジンパワーがあっての話だ。
エンジンの咆哮が一段と高まった。彼は射出の衝撃に備え、ヘルメットをヘッドレストに押しつけた。次の瞬間、アリスのボイスがコクピットに反響する。
「レディ……ゴー」
リニアカタパルトが作動した。サポートブロックと共にストレガは瞬時に加速された。強烈なGがラングの肉体をシートに押しつける。視野狭窄と同時に脳天をハンマーで一撃されたような衝撃が来る。続いて激しい擦過音と共に、燃料がパイプを通過する不気味な唸り声が頭上に響く。リニアカタパルトを通過したアブレーターが、役目を終えて炎と化してパイプを通過しているのだ。カタパルトの先端部が一瞬のうちに流れ去った。
ストレガは射出された。次の瞬間、ストレガを吊り下げていたサポートブロックが機体から離れた。
デルタの発鑑は全機がほぼ同時に行われた。充分に加速された各機のストレガは、エンジンパワーを虚空に解放し、220へ向けて降下していった。
ギャラントのCICでは、発鑑の光景がサブ・スクリーンに映し出されていた。
「彼らに神の幸運を……」
ギャラントの中腹深部に設けられた戦闘情報センター―――CICで、スタンレー・キナバル大佐は呟いた。
CICとは、戦闘を効率化するために設けられた情報統制管制室だ。索敵センサーや通信機能、搭載航法機材、兵装コントロール等、各機能をとりまとめ、情報を分析し兵装の割り当て等を行う戦闘指揮システムがCICだ。
暗い室内にはコンソールがずらりと並び、ヘッドフォンを被った管制官がキーボードを叩いている。正面に設置された巨大なメインスクリーンが目を引くが、ここには指揮管制、作戦情報、戦術状況の表示を初め、さまざまなデータが表示されていた。
キナバルが立っているのは、スクリーンから見て一番後ろのコマンドエリアだった。そこは管制官たちのフロアより2フィートほど高くなっておりメインスクリーンとオペレーター全員を見渡すことができた。
だが、キナバルはメインではなく手元の20インチ3Dディスプレイに見入っていた。
そこには、外の景色が映っていた。発鑑したストレガが編隊を組む様子が……そして、深淵の中に微かな輝きを放つ恒星の群が……。
星々の輝きは、キナバルに忌まわしい記憶を思い出させた。それは、ギャラントにストレガが配備された理由のひとつでもあった……。
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