渚あああああああああああああああああああああ!!!!
CLANNAD
実績1000/1000
CLANNADは人生
CLANNADは人生。
人生というより家族といった方がしっくり来るのは確かだが、まあ確かに人生と言っても間違いではあるまい。
本作は二部構成になっています。
第一部は、はっきり言って普通のギャルゲーです。
確かに多くのシナリオは作り込まれていて見所は多いし細かな分岐や整合性も整えられており名作と呼ぶにふさわしい出来ではありますが、それでもジャンルとして見るならば「名作ギャルゲー」の域を出るものではありません。
ましてや人生などと称えられることなど無かったことでしょう。
問題は第二部。
第二部は渚エンドの続き、という立ち位置ですが、そこで描かれるのは安易なハッピーエンドではありません。
高校生同士でちちくりあってハッピーエンドでめでたしめでたし、というゲームが世には溢れていますが、ではその後どうなったかに思いを馳せると、めでたいとはとても思えないシナリオも数多く存在します。
このシナリオでは、そんな"その後"の世界を思う存分見せつけられます。
変わりたいと願った彼、変わりたくないと願った彼女。
いつしか彼女は変わることで強くなり、いつしか彼は変わらないことで弱くなった。
彼女を蝕む"何か"、それは同時に彼女の源でもあり、世界の象徴でもある。
変わっていく、変わっていってしまう"町"が最後に見た夢は。
お約束
キャラランキング一位は言うまでもなく渚。
第一部だけなら別のキャラのが上ですが、あのアフターは反則だ。
いつの間にかとてもとても強い子に成長した渚、でもそんな彼女を待っていたのは幸せなだけの毎日ではありませんでした。
それでも強く前向きに生きていこうとする渚に惚れない男がいるだろうか。いや居ない。
第二部がなければ一位の座をもぎ取っていたはずの彼女の名は、それはことみ。一ノ瀬ことみ。
基本的に共通しているはずの主人公の背景設定を捏造してまで作り上げた過去と現在の繋がりもさることながら、このシナリオが最も好きな理由は、仲間が居ることです。
大抵のギャルゲーでは、個別ルートに入ってしまえば他の女性は出てこなくなってしまいます。
それまでどんなに仲が良くてもいきなり何故か問答無用で排除。
酷い話もあったもんです。
本作では多くのシナリオで複数の女性を絡ませるなど相当の努力はなされていますが、それでもやはりハブられるキャラはどうしても出てきてしまいます。
ゆきねえやことみは旧校舎ルートに行かない限り出てこなくなりますし、風子は存在すら削除されてしまいます。
あれだけ絡みのある渚や杏ですらフェードアウトしてしまうことだってあります。
そんな中、最後まで多くの仲間が揃っているのがことみです。
何故か春原だけ居なくなってしまいますが、朋也、渚、杏、椋、そして仁科に杉坂と多くの友人と一緒に笑っていられます。
まあことみが好きな最大の理由は、ことみ好きだあああ!!!なんですがね。
有紀寧と早苗は完璧超人過ぎて却ってついて行けません。なにこの現人神達。
まあ実際私が朋也になったとしたら資料室に入り浸るのは間違いないけどな。
むしろ何で他に入り浸っている連中が居ないんだと。
杏は嫌いではない、というか本来非常に好きな部類のキャラなんだが、どうも一点引っかかる。
なんというかあれだ、轢き逃げは普通に犯罪ですから。
椋は椋ルートが杏ルートの引き立て役にしかなっていなかったことが残念すぎる。
実際杏ルートのほうが椋もかわいいし。
何かの山を乗り越えることでヒロインとの結びつきを高めるというギャルゲーによく見られる手法は本作にも取り入れられていますが、何故か椋ルートだけそれがありません。
お陰で他のキャラに対してシナリオが少し霞んでしまっています。
もうちょっと杏ルートのちょっぴり強気な椋みたいなかわいさがほしかったところだ。
あと杏ルートの最後のあれを本人が聴いていないというのはどうなんだろう。
智代は残念。
相手が雲の上の存在になってどうするかと思いきやどうもせず、結局相手が自分のとこまで堕ちてきて終わりとか。
智代のキャラ自体は悪くないのにシナリオががっかり過ぎる。
春原は嫌い。
こいつ基本的に屑ですから。
たまにかっこいいこと言ってますが、これってあれだろ、不良がたまたま一回子猫に優しくしただけですげーいい奴に見える効果だろ。
早苗とのデートが彼の本性ですよ。
だからといって虐待レベルの暴力を繰り返す朋也や杏もどうかと思うが。
また、主人公以外のルートが用意されているのが特徴的で、面白いところでもあります。
バカップルを見守るだけのルートだったりやたら分岐が凝ってる野球ルートとか無闇矢鱈といい話で終わったりするルートといったなかなかよくわからないシナリオがあったりなかったりして、恋愛ばかりで食傷したときの箸休めにいいかんじ。
全シナリオ合わせるとテキストもフラグ管理も相当膨大な量になっています。
幻想世界
さて、シナリオベタ褒めの本作であるが、根幹となる部分でひとつ文句を言いたい。獣についてだ。
設定資料を見ていないのでポイントを外しているのかも知れないが、とりあえず言っておきたい。
設定資料によると無機的な獣は自然を破壊する建機であり、迷子から助けてくれたのはだんご大家族であり、雪から助けてくれた小さな獣はヒトデだということらしい。
がっかりだ。
建機は自然を破壊し、"町"を削り、町の姿を変えていきます。
姿の変わった町に現れるのは、ファミレスであり、病院であり、高速道路です。
"町"を削った後にファミレスが出来、渚がそこで働き、人々が集い、町は発展していきます。
渚が命を受け取った場所に病院が出来、隣町まで行かなくても医療を受けられるようになりました。
病院なだけに多くの別れや負の感情もあるかもしれませんが、それ以上に病気や怪我の治療、新たな生命の喜びもあるはずです。
高速道路は特に描写はありませんが、道路が通じることで流通や交流が増え、町が発展するといったこともあるでしょう。
それなのにそれらをネガティブにしか捉えられない"町"。
迷子になったガラクタを助けに来た獣は高速道路を通ってきた何物かであり、雪に埋もれた二人を助けてくれたのは町を行き交う人々。
そんな解釈をしていたのに台無しだ。
朋也は街灯を立て、配線を行い、電気工事を行います。
朋也が働けば働くほど、町の景観は変わっていきます。
朋也が渚のために働くこと、それ自体が渚を破壊することになっていたのでしょうか。
何故だんご大家族はOKなのか。
建機は駄目で植物ならOKなのか。
だんご大家族は自然を壊さないからOKなのか。
だんご大家族の工場は自然を壊さないのか。
だんご大家族の工場は町の中には無く、"町"を破壊しないからOKなのか。
何故ヒトデはOKなのか。
建機は駄目で彫刻刀ならOKなのか。
ヒトデには風子の心がこもっているからOKなのか。
ヒトデのために木々を伐採するのはOKなのか。
ヒトデのための木々は"町"のものではないからOKなのか。
ファミレスや病院や高速道路には設計者や建築者や利用者の心がこもっていないから駄目なのか。
"町"の視点は歪んでいる。
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